スバル360とは

スバル360とは、今なお、まれに路上を走る姿を見ることができる車です(笑)

レストア完了!気分は上々!!



航空機技術を応用した超軽量構造を採用し、また限られたスペースで必要な居住性を確保するための斬新なアイデアが、数多く導入され、量産型の軽自動車としては、史上初めて大人4人の乗車を可能とすると共に、当時の水準を超える走行性能を実現した戦後日本の歴史を語る上で欠かす事のできない「名車」です。


範となったフォルクスワーゲン・タイプ1のあだ名となっていた「かぶと虫」との対比から、
そのコンパクトにまとめられた軽快なデザインから、「てんとう虫」の通称で庶民に広く親しまれました。


生産中止後も、1960年代を象徴するノスタルジーの対象として、日本の一般大衆からも人気・知名度は高いです。
スバル・360が初めての自家用車だったという中高年層が多いことも、その傾向を強める一因となっています。
生産終了後約40年を経過しているが、後期モデルを中心に可動車も少なくなく、愛好者のクラブも結成されており、
今なお、まれに路上を走る姿を見ることができる車です(笑)
タグ:スバル360

ルパン三世VS名探偵コナン

『ルパン三世VS名探偵コナン』(ルパンさんせいヴァーサスめいたんていコナン)

ルパン三世と名探偵コナン。出会うはずのない2人が、ヴェスパニア王国にまつわる大事件に巻き込まれ、
世紀の勝負を繰り広げる。
モンキー・パンチ、青山剛昌の全面協力の下に実現した、いまだかつてない奇跡のコラボレーション。


日テレ開局55周年とytvの開局50周年の開局記念スペシャル番組で、『ルパン三世』と『名探偵コナン』とのクロスオーバー作品である。
2009年3月27日の金曜ロードショーで放送された。
2009年5月、CS放送日テレプラスでも放送。


愛車であるベンツSSKとフィアット500は序盤で破壊されてしまった・・・。
本作では『ルパン三世 1$マネーウォーズ』で活躍したスバル360を運転している。
このスバル360は特に良く描けている。

ルパン三世の車 1$マネーウォーズ

『ルパン三世 1$マネーウォーズ』




漫画家モンキー・パンチ原作の人気アニメ『ルパン三世』の毎年恒例となっているのシリーズ第十二弾である。
2000年7月28日に日本テレビ系の『金曜ロードショー』で放送された。


このTVスペシャル前半では、飛行機に変形できるスバル360が登場し、オープニングのカーチェイスや、その後の尾行などに使用された。
しかし、ドアの開き方は実車とは異なっている(実車の場合、ドアの蝶番は後部にあるが、ルパンのものは前部に付いていた)。

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スバル360のエンジンルーム

スバル360のエンジンルーム公開中!!
ホイールのBMWに突っ込んでね(笑)




フル・モノコック構造の超軽量車体後部に空冷エンジンを横置きし、後輪を駆動するリアエンジン・リアドライブ方式を採り、サスペンションは日本で初めてトーションバー・スプリング(棒鋼のねじれによる反発を利用したばね)を用いた極めてコンパクトな構造として、車内の客室容積確保を図った。タイヤは当時としては異例の10インチサイズを、これまた新規開発させて日本初採用した。

それまでの軽自動車・オートバイでしばしば見られた、既にある出来合いの部品を組み立てて製造する(町工場的な寄せ集めの)アッセンブリー方式ではなく、目的達成のために部品1つ1つを最適化した形で新たに設計するというレベルの高い手法を用いた。10インチタイヤの新規開発や、トーションバー・スプリングの導入はその最たるものである。そして、ねじもスバル360用に独自に設計されており、富士重工業のマークの「フ」の刻印を入れた純正ねじとなっていた。軽量化と客室スペース確保のためには文字通り手段を選ばず金も惜しまず、コストのかかる加工法や、アルミニウム合金、繊維強化プラスチック(FRP)などの高価な新素材も大胆に取り入れている。これらは富士重工と百瀬晋六の卓見であった。

またフル・モノコック構造の採用は、軽量化対策としてスバル・1500での経験を活かしたものであり、元航空技術者を多く擁する富士重工技術陣にとっては自家薬籠中の技術と言えた。

駆動レイアウトについては議論があった。重量・スペースに制限のある超小型車においてプロペラシャフトは省略した方が有利であり、開発初期段階において技術陣は、前輪駆動車か、リアエンジン方式のいずれかの選択を迫られた。理論上のスペース効率では前輪駆動方式に長があり、車体後部をバンやトラックなど様々な形状にたやすく設計変更できるメリットがあった。この時代、すでに前輪駆動方式は実用化されており、スズキ「スズライト」のように日本での市販例も存在した。このため、計画段階で三鷹製作所の菊池庄治らは前輪駆動を主張していた。

だが前輪駆動車の場合、旋回中にも滑らかに前輪への駆動力を伝えられる「等速ジョイント」が必要になる。1950年代中期の時点では、耐久性とスムーズさを両立させた等速ジョイントを低コストに量産できる状況になく、市販されていたヨーロッパの前輪駆動車でもジョイントの耐久性不足と旋回時の特有な振動が最大の弱点になっていた。

百瀬晋六は前輪駆動の長所を知悉しつつも、このような等速ジョイントの問題によって開発が難航するであろうことを推察し、1950年代中期におけるより堅実な手法として、すでにフォルクスワーゲンなど多くの類例が見られたリアエンジン方式の採用を決定した。

スバル360の助手席

思ったよりドアが軽かった。
うまく開けれていません(笑)
yositami360父に「足を伸ばせ」と。。。言われても。。。

助手席に乗り込んで撮影です。 クラクション音がカワイイ!!



スバル360発売以前の1950年代中期、日本における国産乗用車は複数の大手メーカーから発売されていた。
しかしその価格は、小型の1000cc級であっても当時で100万円程度であり、月収が僅かに数千円レベルであったほとんどの庶民にとっては縁のないものであった。


軽自動車の規格自体は1949年から存在したが、もっぱら2輪車や3輪トラックを製造することを念頭に置いた規格であり、これに準拠して4輪の乗用車を製造する大手メーカーはほとんど無かった。


史上初の4輪軽乗用車は、1952年に製造された250cc車「オートサンダル」と見られている。名古屋の零細メーカーである中野自動車工業が、三菱の汎用単気筒エンジンを用いて手作業で製造したもので、リアエンジン2人乗りのフリクション・ドライブ車であった。およそ通常の実用に耐えうる性能ではなく、1954年までに200台ほどを製造し、その後前輪駆動モデルの開発を行ったが量産化せずに生産中止したと言われている(中野自動車については零細企業のためほとんど資料が残されておらず、詳細は不明である)。

その後1957年頃までに、いくつかのメーカーが4輪軽乗用車の開発を行った。「NJ(のち『ニッケイタロー』)」(日本自動車工業 1953〜1957)、「テルヤン」(三光製作所 1957)などは、何れも零細企業が技術的裏付けの薄いままに急造した粗末なもので、長続きはしなかった。

元日産自動車社員で、野心的な自動車技術者の富谷龍一は、大手織物メーカー傘下の自動車ボディメーカーである住江製作所で、超軽量4輪軽自動車「フライングフェザー」を開発した(1954〜1955)。リアエンジンV型2気筒の350cc・2座席である。4輪独立懸架の採用はともかく、華奢な外観は商品性に乏しく、前輪ブレーキがないなど性能的に不十分な面も多かった。数十台が市販されただけで製造中止となった。

富谷は後輪を1輪としたFRP製フル・モノコック車体の125cc2座キャビンスクーター「フジキャビン」を、富士自動車(東京瓦斯電気工業の後身。富士重工の前身・富士自動車工業とは全く無関係なメーカー。のち小松ゼノアに吸収)で開発したが(1956)、こちらもパワー不足と操縦安定性の悪い失敗作で、85台しか作られていない。

比較的まっとうな成績を収めたのは、自動織機メーカーから2輪車業界に進出していた鈴木自動車工業(現・スズキ)で、1955年に前輪駆動の360cc車「スズキ・スズライト」を開発した。これは実質は、西ドイツ・ボルグワルト社(Borgward)社のミニカー、「ロイトLP400(Lloyd LP400)」を軽自動車規格に縮小したような設計で、外観も酷似していた。乗用車・ライトバン・ピックアップトラックの3タイプがあり、乗用車タイプは名目上は大人4人が乗車できたが、実際は後部座席は子供が精一杯の広さだった。乗用車・ピックアップの販売は不振で、1957年には後部を折り畳み式1座とした3人乗りのライトバン仕様のみとなった。このライトバン仕様「スズライト」も商業的に大きな成功は収められず、スズキの軽自動車生産が軌道に乗るのは改良型の「スズライト・フロンテ」に移行した1962年以降であった。
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